【独り言】やらされていたはずの勉強が「やらなければ」に変わるとき。

こんにちは。年末に近づくにつれ、気分が浮かれ始める今日この頃。

新型コロナウイルスは変異株も出てきてますが、影響は昨年に比べ、低くなり、心に余裕が出てきているかと。とはいえ、、受験を控える受験生たちはそうもいっていられないのではないでしょうか。

 

 

少しづつ、、と言っては遅いのですが、自分がやりたくなかった勉強をやらなければならないと(やっと)自覚してくれた生徒たちがいます。いや、もしかしたら、そう見えるようにふるまっているだけかもしれないという私のねじ曲がった疑いがあるのですが、その生徒たちからしたら進歩です。

 

親にやりなさいと言われてやるのは、もうおしまい。

 

これからは、自分の意思で勉強をしなければならない。なぜなら、しなければ、自分の将来が願ってもみない方向へ進んでしまう可能性があるから。

ここへきて、やっと自分の将来について考え始めるようになりました。

 

 

「時すでに遅し。」と思う方も多いかもしれませんが、そんなことありません。

これからだっていくらでも伸びます。

ただ、もう少し早く気付いてほしかったというのはありますが。

 

 

なぜ、ここまで気づかずに来たのかは、それはもちろん、自分への甘えに他ならないのですが、性格的なモノから、生活環境によるモノまで、様々な要因があると思います。

それは、各家庭の問題でもあったりするので、知ってはいますが言いませんけど、今それを追求することに何の意味があるのか?と考えたときに、それは変えることが極めて難しい、私の立ち入れない領域であって、意味のないことだと思います。

 

だから、

 

こうして、遅くなってしまっても、気づいてくれたことに、成長の軌跡を見ることができ、称賛に値することとして生徒を遠くから喜ばしく見て、支えています。

 

 

ここへ通ってきてくれている生徒たちの中には、親に言われて来る生徒たちがいるのは確かです。その生徒たちにとって勉強することの意義を考えたことのある生徒は皆無だと思います。

しかし、受験が近づき、勉強を頑張ってふと立ち止まると、その親がそうしてくれた理由は自ずとわかるはずです。

それは、愛情であったりするのですが、

ただ、それも正確にはそうでなかったりもするかもしれないのですが、その本当の意味に気づくのは社会人になって学力による格差を知ってからかもしれません。

 

今の頑張りが、将来につながり、そして、誰かのために、誰かによって勉強させられていたかもしれないこの塾でのひと時はこれから先、振り返った時に、とても貴重な時間であったことに気づくと思います。

 

 

受験生なのに、まだ勉強をやらされていると思っている生徒は、もうほとんどいないと思いますが、これは、親からの命令ではなく、自分の将来切り拓くための第一歩。 決して、これで人生が決まるわけではないけれど、初めて受験を体験する生徒には自分で行く先を決める、初めての決断です。

 

後悔すること無いように、頑張ってほしい。。

 

もう、ここまで来たら、あれやれ、これやれと言われて仕方なくやるのではなく、「こうしたい。」、「ああしてみよう。」、といったポジティブな姿勢に切り替えて、受験勉強に臨んでもらえればと思います。

 

私からはできる限りの、事足りることがないくらいの学習ツールや環境は準備し、生徒には発信し、提案しています。

ただ、それを活用するかどうかは、

 

 

そうです。  生徒自身です。

 

  

目の前に合格の道しるべがあるかもしれないのに、使わない、使おうとしないのは、自分の将来について本当に考えているのか、とても疑問であり、生徒の指導者として、この先が不安です。

 

「どうなったっていいや。」と思っているのなら、親不孝であること限りないですし、誰もそれを願ってはいません。早くそこに気づくことが大切です。

 

 

出来る限り、良い出発ができるように私からは声をかけ、将来についての問いかけをしていくしかないのかなと考えるこの時期でした。

 

 

ホントに独り言ですが、

今日はこの辺で。

 

それでは( ..)φメモメモ 

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