こんにちは。いよいよ高校受験も私立の受験が始まってきましたね。最後の追い込み頑張っていますでしょうか?
今までの積み重ねを発表する場が、今回この試験です。身を削りながら頑張った生徒も何となく受験を進めてきた生徒も、この結果で得られることは多いでしょう。
周囲を見回してください。そして、今までの自分を振り返る良い機会になるはずです。
さて、試験直前とあって、いろいろな願掛けがあるかと思います。
絵馬に願いを書いてきましたとか、神社にお賽銭を投げて願ってきましたとか・・
昔からあるのが、なんだか知らないけれど、神社の名前とちょっとした一言の入った鉛筆。
まあー いろんな意味で使いにくいですよね。いや、使いにくいというよりか、どのタイミングで使うのか迷うといいますか。。
使い切ったら良いのか?とか、削りたてが良いのか?とかいろいろ迷いませんか?そんなこんな考えているうちに、結局は
「日ごろ使い慣れたシャーペンが一番いいだろ!」
みたいな感じになって、結局鉛筆を使わず・・
なんてことはあったりなかったり。。 ちなみに、私は中学の時に親戚がご利益のありそうな鉛筆を買ってきてくれたのですが、30代の今になっても実家の鉛筆立てに削っていないのがあります。(笑)
誰が使ってくれ! でも、なんか普段使いもしづらい・・ みたいな感じで残っています。
その流れで、今回は御守りの話なんですが、
受験前なんで、みんな御守りをバックだとか筆箱に入れてたりだとかするんです。
私は結構、そういうのが嫌いで、何かにすがるような、と言いますか、ぼったくられていると思えてしまうんですよね。
こういう話をしていると、絶対的に、保護者や生徒からドン引きされるのですが、事実なので、仕方ありません。ちなみに、私は願掛けとかも嫌いです。だって直前に何かあって、それができない時、「だめってこと??」みたいに思えてしまうのが嫌なんです。
それで、私が御守りに対して懐疑心を抱き始めたのが、まだ小学校低学年の頃です。
私の友達にやんちゃな子がいまして、そいつにはいつも笑かせてもらったのですが、ある日、
「おい、おかちゃん。(私のあだ名) 御守りの中って何入ってるか知ってるか?」
とか言われました。
当然私は、お守りというのは中身を見たらご利益がなくなるとか、呪われるとか言われてたので、
「知らないし、そんなことしたらバチあたるよ。」
とか言って、嫌だったんです。でも、そいつは笑いながら「見てろ。」とか言って、お守りのヒモをほどいておもむろに中身を出したんです。
そしたら、中に「木の板」が入ってたんです。
はい、、「ただの木の板」です。
何にも書いてありません・・
あれれ・・ えええ・・ と思いました。
そして更に笑えることに、
私も自分の御守りをあけてみたんです。
そしたら、中に、「段ボール」が入ってました。
ただの段ボールです。友達のより酷いです。
当時まだ低学年ながら、なんだか、世の中の不条理を感じた、この気持ちはまだ残っています。
「こんなので、500円もするんかい!」
せっかく貴重なお年玉で買った、御守りがこれなんか・・
その時から、御守りは買わなくなりました。
このただの、紙きれや木の板や段ボールに僕の人生を変える何かがあるとは到底思えませんでした。
そこから、歳月がたち、私はそんな御守りなんかを信じるより、自分のやってきたことを信じて挑戦する方がよっぽど良いと思うようになりました。
「私には御守りがついている、しっかり願掛けしてきたから大丈夫。」
そういうメンタル面での安定感って、人によって、とても大切だと思っています。ただ、それは勉強をしなくても大丈夫という事ではありません。
最後の運のようなところは、実は、確かに合否に大きく影響したりします。だから、祈ることは間違いではないのですが、祈りの比率が高すぎちゃだめよという話です。
だって、御守りの中身って、ただの紙切れや木ですから。
(えっ 営業妨害? すいません。ただの紙切れではありませんね。失礼。何か書いてあったりしますから。コピーだけど。どこで作ってるんだろう・・)
99%の努力と残り1%の運のための祈りであれば、私は良いと思っています。
ということで、こんなことを昨日生徒に話したのですが、笑って自分の御守りの中身を見ていました。
買って満足しないこと。まずは勉強しなさい。
それではこの辺で(^^)/
試験頑張っていきましょう!最後は自分を信じて。
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