大学入学者選抜改革の失敗について。大学の責任も考える。

こんにちは! 世間の大学入試制度が揺れていますね・・ というより、崩れましたね。

英語民間試験の導入延期に続き、国語と数学の記述式導入も見送られることになりました。まだ時期尚早との見解ですが、これから先も導入されるのかは未知数です。

(参考までに文部科学省HP 大学入学者選抜改革について

 

 

一番の被害者は学生であり、受験を志していた人たち。

新しい試験の導入に伴い、多くの人たちが動いた。入試対策をする学校や塾の先生。採点する企業。政府の中にも右往左往して一生懸命動いてくれた人もいるでしょう。。

「もう少し、早く次に何が起こるのか予想ができたのでは?」と思えてしまうのは私だけでしょうか。

記述式は採点が難しいから、マークシートにしたのでは?英語の民間試験導入はかかるコストを考えればちょっと無理があることも分かったはず。まさに、身の丈に合った人が受ける試験だと思っていました。

おそらく、新たな取り組みを打ち出し、対外アピールすることが目的になってしまった悪い例だと思います。学生の基礎学力を公平に判断する試験が政治利用された結果、現場をしっかり見極めていなかったために失敗に終わった感じです。

 

さて、日本経済新聞に面白い記事がありました。私も深く賛同できたので、一部引用させていただきたいと思います。

 

「明治以来の大改革」と大風呂敷を広げ、共通試験の複数回実施や一点刻み入試からの脱却、合科目型出題など様々な論点を掲げた顛末(てんまつ)は事実上の現状維持。受験生を翻弄しただけだった。  迷走の原因は何か。思いつきのアイデアをぶち上げた政治・首相官邸。無理筋と知りながら従った文部科学官僚。ビジネスチャンスとばかりに飛びついた教育産業。現場の負担を口実に現状維持に走った高校……。だが、最も責任を負うべきは、当事者意識もなく国に追随した大学だろう。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO53485240X11C19A2CR8000/

 

そう、大学入試改革に賛同した大学にも責任があると思います。

 

少子化の時代。大学は生徒を主体的に選んでいかなければいけない。2次選抜で応募者を篩落とすことが目的なら、マークシートで十分だったでしょ。無理に変える必要はないなら、そう主張してほしいもの。

大学が受け身なら、ほしい人材も集まらない。2次試験で選抜するならセンター試験で十分だ。

AO入試や推薦入試も変化し、推薦型、総合型に分かれるようだが、大学は本当にそれでよいのか?

各々の大学がほしい人材に求める入試形態をそれぞれ探り、もっと多様でいいと思う。

これからの大学の在り方が気になりますね!

個々の能力を伸ばし、専門性をもっと高めらるような大学にしてほしいです。

 

 

ちょっと面白い記事を見つけたので、つい書いてみました。。

それでは~(。-`ω-)

 

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