【独り言】生徒への代弁者とメンターの不在が起こす親子間の軋轢。

こんにちは。暑いですねー・・・

 私が小学生の頃は確か、最高気温も32度くらいがMaxだった気がするのですが、最近は普通に40度近くまでいくので、恐ろしいことです。いやー暑いですね。。

さて、今回はメンターや代弁者という事なのですが、小学生や中学生のころから、将来に導いてくれるような、悩みを聞いてくれるような、些細なことでも気軽に聞けたり教えてくれる人って近くにいましでしょうか?

それは、同学年ではなく、年上でそこそこ社会のことをわかっている常識のある大人です。しかも、赤の他人である必要があります。

 

小さな塾の塾長が何を言ってるのかと思うかもしれませんが、結構この存在って将来に大きな影響を与えるんじゃないかな・・と最近になって思うようになってきました。

親や兄弟には聞けないけど、他人なら聞ける。ただし、ある程度身近で信頼がおける人でないと聞けない。

不思議なことに学生や子供には、その分別は何となくついていて、聞いていい人とそうでない人が感覚的にわかっているようです。

それは、例えば、生徒を見ていると明らかです。講師には聞けないことでも、私にさりげなく聞いてきたりします。結構深刻なこと聞いてきたりもします。

 

絶対的な存在で、投げてきたボールを確実にヒットにつなげる。その繰り返しが信頼へとつながっていくと思うのですが、そのためには様々な経験と聞く力が必要です。恐らく、その経験や力が講師では不十分なのでしょう。

ここまで読むと、私自身を自画自賛しているようですが、これは教育を生業としている方には、ある程度身についてて、当然の力なのではないでしょうか。それが無いのは、生徒に向き合っていないということだと思います。

 

それで、このメンター的な存在は、社会人になると当たり前のように現れ、仕事のイロハを教えてくれるのです。しかし、学生時期に関しては、結構野放しで好き勝手やって自分で考えることになっている。

 

私は、もっと小学生、中学生、高校生のうちから、一般社会常識を持ったメンターがついてあげるべきだと思います。

 

それは、今の塾で働き始めてから感じる感覚なのですが、生徒たちには気軽に聞ける大人の存在が圧倒的に少なく見えます。学生の時に触れ合える大人と言えば、学校の先生か、習い事でであう先生。もしくは、親戚同士で出会った、おじさん、おばさん、お兄さん的な存在。

その中で、わからないことを信頼して気軽に聞ける存在は数少ないのではないでしょうか?

ましてや、その子のことをゆっくり聞いてあげる時間がある立場の人はもっとすくないでしょう。

 

自分の時はどうだっただろうなと振り返ると、心当たりはあります。。

 

小さいころから、柔道をやっていたのですが、そこで教えてくれてた、人は大企業の偉い人だったかな・・? 高校になるまで、いろいろと聞いてもないアドバイスをしてくれました。親のいう事は聞けないけれど、その人のいう事なら、何となく聞くことができました。

長きにわたり、お世話になっています。

多分、その人の判断が今にも影響しているのかもしれません。ここまでこれたのも、その方のおかげもあるかもしれません。まあ、本人の前ではそんなこと言いませんが。

 

近くに、一緒に考え、話を聞いてくれるまともな大人がいるだけで、私自身も変われたことを考えると、その存在は大きいかもしれません。

 

個人的な経験は置いておくとして、第三者としての大人の存在は、学生の成長に大きな影響を与えてくれると思います。

 

 

また、もう一つ大切なことがあります。

それは、親の代弁者になりえる存在であることです。

 

親の存在を当たり前だと思い、ぞんざいな言い方・呼び方をする生徒がちらほらいたりします。もしくは、親の理不尽な物言いに対する不満など。

 

授業中だったり、授業前だったりと、我先にと伝えに来る生徒がいます。いろいろと不満があるのだなと思うのですが、生徒のいう事もわかるのですが、やっぱり親の言いたいこともわかります。

それで、親の言いたいその真意は多分子供にはほとんど伝わってなくて、誤解が生まれていることがほとんどです。

それは、血のつながった家族であるゆえなのですが、甘えだったり、反抗であったり。それによってわだかまりが生じている。誰もが通る、仕方ないことなのかもしれませんが、その時に真意を知らずまま、怒り狂い、愛されていないと思う生徒がいるようです。

 

「ゲームやって怒られた」、「学校の先生にこんなこと言われた・・」、「勉強のことしか言われない・・」そんなことを吐露する生徒がいますが、そのたびに真意を伝えなければいけないと。

「なぜ、親がそんなことを言うのか考えたことがあるかと?」

 

まあ、殆どの生徒は苛立ちに任せ、考えていなかったりします。

だから、なぜそうなのか?悟らせる誰かが絶対的に必要なのかなと思います。

 

良く10年~20年後になって気づく人がいますが、早く気付いた方が、良いに決まっています。その方が、親との関係も多少緩和するし、勉強をしなきゃいけない意義もわかるので。

 

 

勉強を頑張ってもらうためには、理解のある絶対的な大人の存在が、わだかまりや誤解を少しでも溶かし、モチベーションにつなげる。そして、円満な家庭状況につなげる。

勉強を教えるだけでは将来への道は開かないのではないかと思います。目先の成績や結果に目が行ってしまいがちですが、

勉強をさせることの目的は何だろうと考えたときに、目先の結果に一喜一憂していてはいけず、その先の将来への道筋を考え、共に歩いていくことが大切なのかなと。

 

個別指導でかつ少人数だからできて気づいたのかもしれませんね・・

 

これから私の目指すべき塾の在り方が少しづつ見えてきたそんな気がします。

  

 それではこの辺で( ^^) _U~~

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