こんにちは。COVID-19 の影響もあり、「GIGAスクール構想」の実現が加速してきています。要は、ICTを用いて、教育の質を高めようということ。一人一台タブレットを配って、いつでも学習できる体制を整えようとしているのも、この構想の一環。
さて、そんななか。。もし、一人1台タブレットが普及し、生徒それぞれが学びたいことを学べるような環境が整ったとき、何が起こるのか??
考えたことはありますか??
個人的には、パッと大きく3つ思いつきまして、
1つは、学校に行かなくても良くなる。(これは楽ですね。)行く必要がないので、どこでも授業が受けられる。
2つめはタブレット1台で勉強はOK。例えば、教科書が無くなる。(重たい本持ち歩かなくても良くなる・・)。ノートもデータで持ち歩くような感じになるかもしれません。字が汚くて読めないといったことも無くなりそうです。
3つめは学習を進められる生徒は更に進み、そうでない生徒は置いてけぼり。 学習進度の格差が更に広がる。
3つめに関しては、既に、塾に通っている生徒と、そうでない生徒の間でもこのようなことは始まっているのですが、これが、更に個々のペースで加速していくかと思っています。
そこで、今回の題名に関するのは、この3つ目。 話題に上がり始めたのが、「履修主義」と「修得主義」。簡単に説明すると。
◎履修主義 ⇒ 授業を受けたらOK。(現在の公立学校は履修主義。年齢ごとに授業を受け、進級試験は行わない。)
◎修得主義 ⇒ 授業を受け、テストなどで修得が確認出来たらOK。
授業に通えない状況が続く中、自ら学び、試験に合格すれば、さらに上のレベルに昇級することができる。こんな、制度があれば、とても効率的だと思いませんか?
勉強が好きで、できる生徒からしてみれば、とても良いことだと思います。自分の才能をどんどん伸ばすことができます。
ただ、これ、問題もかなりあると思っています。
今まで、義務教育では、必ず進級することになっています。同じ学年の生徒が同じように進級することで、友情が深まったり、調和関係で頑張ろうと努力できた側面があったのではないかと思います。
もし、できる生徒だけがどんどん進級していくシステムを考えたとき、必ずそうでない生徒も出てくる。その子たちがどんな想いになるのか考えただけで、心が痛くなります。
「資本主義で、そんなやさしさは役に立たない!」
と言われれば、そうかもしれませんが、、
それでいいのでしょうか。。
私が思うに、いつかは競争を強いられ、そのために頑張ることは必要だと思うのですが、タイミングが重要になってくるのかなと思います。
小学生から修得主義は少しきついのかなと思います。。競争についていけない生徒はそこから先、きっと学校が好きになれないかもしれない・・ これから、ずっとネガティブ思考になるかもしれない・・
だから、もっと自我をもって将来を考えられるようになってから、頑張ってもらえるような仕組みであればな、と思っています。
とはいえ、将来的には、修得主義が増えていくのではないかなと思います。
勉強が苦手に感じる生徒には少し残酷に聞こえますが、有望な人材を発掘していくためには、致し方ないのかもしれません。
また、海外では(国内の大学にもありますが)飛び級なども普及してきています。優秀な人材を更に伸ばす環境といえるのではないでしょうか。
結局自分の想いとしては、
選択の余地がある、高校から修得主義の実施は賛成です。
しかし、義務教育から修得主義を実施してほしくないと思っています。生徒一人ひとりの自己肯定感を破壊することになると思います。
今後、どのようになっていくのかはわかりませんが、今後の学校評価制度の動向は注意が必要だと思いました。
今日はこの辺で・・ ちょっとしたつぶやきでした。
m(__)m
コメントを残す