【独り言】学校の評価基準は一人ひとり違ってもいいと思う。通知表しかり。

こんにちは。久しぶりの独り言です。

世の中はなんて理不尽なんだ・・ そう思うことがあります。

 

ある生徒は何時間も勉強しているのになかなかいい点が取れない。一方で、ある生徒はそこそこ勉強すれば、そこまで根を詰めて勉強しなくても良い点を取ってくる。

理不尽ですね・・・

 

ただ、それと似た経験は皆さんにもあると思います。たいして勉強もしていないのに点数が良くとれる友達が中学、高校、大学と身の回りに一人や二人はいたのではないでしょうか。

もちろん、隠れて日々一生懸命勉強を積み重ねた結果、良い点数を取っている人もいるのですが。

 

 

これは、生まれ持った能力による差というほかないですよね。これに関しては、どうやっても後天的に得ることはできないので、望んで得られるものではありません。

 

私もかつて、一生懸命勉強したのですが、どうしても越えられない壁があることに気づき、劣等感にさいなまれたことがあります。これは、歳が上がり実力主義になっていくほど痛感するようになってきます。

俗にいうできる社員とそうでない社員みたいな形で、定義は人それぞれなのですが、圧倒的に頭の回転が速い人がいたりします。 

仕事はスピード勝負なところもあるので、仕事が早い方が優位に立つことができます。その人は優先的にコマを先に進める権利が得られるので、みんなよりも一歩図抜けた存在として評価されます。

そんなことを目の当たりにして、やるせなさを感じることもあります。

ただ、出世するかどうかは別問題です。人間関係やセンスの良さなどいろいろありますので、、そこに、頭が良いだけがすべてではないのは確かです。 だから、別に特段頭が良くなくても、頑張れば出世の希望はまだまだあるはず!というのが私の考えです。。

 

  

さて、仕事の余談はさておき、

 

学校ではどうかというと、確かにこれから待ち受ける社会の荒波に立ち向かうためには、テストや通知表の評価によって厳しくランク付けされることは必要だと思います。それによって、自分の立ち位置を知るためのきっかけにもなります。

社会に出てからは、いくら頑張ったではなく、どれほど効率よく結果を残せたかが評価されますので、学校においてテストの点数という結果で区切るのは理にかなっているといえば、理にかなっています。評価も楽ですし。

 

ただ、そうなのですが。。

 

 

学校においては、いろんな生徒がいます。全員が将来、トップランナーとして競争の中生きていくわけではありません。すべての生徒にその勉強という能力によってだけ評価するのは、(とても甘い考えかもしれないのですが)、人によってはとても過酷ではないかと思います。

 

 

それは、ひとそれぞれ、到達できる地点は違うということだと考えています。

 

 

ある人は3時間のマラソンで、余力をもって30キロ走ることができる。一方、ある人は3時間のマラソンで10キロしか走れない。頑張ってもせいぜい15キロが限界だということが、今までの実績からわかっているとしたら。

 

強引に30キロ走れるまで評価しないのか?

 

最初の余力をもって30キロを走った人は、10キロできつい人が頑張って15キロ走った人より評価は高いのか?

 

 

結果だけ見れば、最初の人の方が評価は高いのは確かです。しかし、プロセスで見たら、絶対後の人の方が評価できるはずです。一生懸命頑張ったのは明らかに後者ですから。現実的には、後者の人は負け組といった部類に入ってしまうのかもしれませんが、真面目に何とかしようとしたことに対する評価は十分にあってしかるべきかと。

 

最初の人はそこまで頑張らなくともできてしまう自分に、自信をつけ、勝ち誇るでしょう。そして勢いづき、もっと頑張るようになる。一方で、頑張ったのに届かなかった人は、どうなるのか? もしかしたら、自信ややる気がなくなるかもしれません。これを機に「もっと、一生懸命頑張ろう!」となれればいいのですが、ネガティブ思考の場合、また立ち直るのにかなりの時間がかかったりします。 

 

頑張った人間が必ずしも評価される世の中ではないのですが、せめて学校では努力する姿勢をもっと重点的に評価し、社会に送りだしてほしいと思っています。そしたら、もっと、新しい何かにチャレンジしてみようとか、もっと頑張ってみようとか思えるようになるかもしれない。それがその子の人生にとって大きな一歩につながっていくと思います。

 

 

数値・結果や点数だけ見て評価することで、努力している生徒のやる気を削ぐようなことにだけはなってほしくないと思っています。また、頑張ろうとしている生徒の勢いが落ちないように、明確な評価基準を設け、開示しても良いのではないかと。

  

頑張っているのに、なかなか成績が伸びない生徒を見るとそう思うことがありました。かくいう私もなかなか伸びない一人だったのですが、いろいろな出会いに救われました。

 

 

個人的な話になりますが、そんな中で、学んだことがあります。

 

それは、何事もけじめをつけて、真面目に取り組むことです。

これは、言い換えになるか分かりませんが、真摯に取り組むことだと思っています。

 

 

「何事にも、真摯に取り組めば、きっと評価してくれる人がいる。」

 

 

そう信じて勉強や仕事に取組めるようになりました。

結果は出なくとも私の頑張りを見てくれている人がいたので、私は道を外さず頑張ってこれました。

これは、保護者であれ、教師であれ、身近な大人がしっかり見守っていてくれているとわかったからでした。

 

だから今、一人ひとりを見て、頑張る生徒をしっかり評価できるよう心掛け、仕事をすることにつながっているのかもしれません。

 

 

やって来たことに対する正当な評価とは、数値によるものだけでなく、もっと50/50くらいで授業に対する姿勢を評価しても良いと思いました。

 

そして、私の塾でも生徒にもそのような評価をしています。

私の評価が通知表に関係するわけではないのですが、彼らの将来を考えたときにきっとプラスになってくれる。そう信じて、生徒を見るようにしています。

 

 

同じことをやらせても、取れる点数は人それぞれ。

 

 

一生懸命がんばっても点がとれない生徒もいますが。取ろうとしているのに、体が動かない、頭が動かない生徒も。

 

「私は君をしっかり見ているよ。」

 

そして、

 

「君の努力を私は評価する。」

 

そう伝えるだけで、その生徒は救われるはずです。

 

 

そして、次も頑張ってみようと思えるようになる。そして、どうしたらもっと点を取れるようになるのか一緒に考える。能力によるところもあるけれど、しっかり考えるようにします。

点数による結果はとても大切です。ただ、それ以上に、物事へ真摯に取り組もうとする姿勢はもっと大切だと考えています。その姿勢はこの先何をするにしても一生大切になることだと思うからです。

 

 

 

  

 

 

以前、生徒の中に、成績を隠したり、不真面目に学習に取り組む生徒がいました。

 話しているうちに、彼なりに頑張っているものの、なかなか点が取れず、評価されていないことが原因でした。もちろんここは塾ですから点数を上げてなんぼの世界。対策は一通り講じます。

ただ、それでもどうにもならないことはあるのは事実です。

 

そんな時はまず、保護者の理想を現実と結び付けなければなりません。

子どもにとっての満点が必ずしも100点とは限らないのです。

これは、先ほども伝えた、人によって到達点が異なるということです。

 

 

その生徒にとっての100点はどこなのか?まず一緒に考えなければなりません。

もともと2~30点しか取れなかった生徒が50点を取れるようになった。

私からみて、その生徒には十分な点数だと思います。ただ、保護者はそうでないかもしれない。

 

そこに、難しさが生じます。塾に行けば全員が100点を目指せるようになるわけではありません。

 

  

生徒一人ひとりによって、そのゴールは異なり、それを達成できるかどうかは努力や相性などあるけれど、時によってはとても低かったりします。

私は、できる限り高めの設定はするものの、わかって来たタイミングでお伝えするようにしています。

 

これは、生徒の問題ではなく、テストの点で測るというシステムの問題であって、子供は何も悪くないです。

 

 

いつも悪い点ばかり取ってくる子供を責めるのではなく、どれくらい頑張ってどれくらいできるようになったのかを対話を通して評価できるようになることを願っています。

 

 

 

 

とはいえですよ。。

 

本当に不真面目な結果、点数が下がったのであれば、それは許されるものではありません。

本来、できる能力を持ち合わせながら、それを発揮しないことに対しては厳しく叱ります。 

 

 

それこそ、できるまで居残りなど、当塾でも厳しくやります。

その結果点数が上がるのは確かなので・・

 

 

 

 

 

それでは、長文になりましたが、今日はこの辺で( ^^) _U~~

 

 

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